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千葉地方裁判所 昭和50年(ワ)590号 判決 1979年3月30日

原告 伊藤栄一

原告 伊藤喜代美

右両名法定代理人親権者母兼原告 伊藤信枝

右三名訴訟代理人弁護士 中川賢二

同 高橋孝信

被告 日本火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役 右近保太郎

右訴訟代理人弁護士 神田洋司

同 弘中徹

同 飛田政雄

同 永倉嘉行

同 長谷川久二

右訴訟復代理人弁護士 加茂隆康

主文

一、被告は各原告に対し、それぞれ一六六万六、六六六円及び右各金員に対する昭和五二年九月二七日から支払いずみに至るまで、年六分の割合による金員を支払え。

二、原告らのその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は被告の負担とする。

四、この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

(当事者の求める裁判)

原告ら

一、被告は原告伊藤信枝に対し二三六万六、六六一円、原告伊藤栄一、同伊藤喜代美に対し各一六六万六、六六六円と各一六六万六、六六六円に対する昭和五〇年二月一日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

三、仮執行の宣言。

被告

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

(当事者の主張)

第一、請求の原因

一、訴外伊藤喜三郎(以下喜三郎という)は、左の交通事故により死亡した。

発生日時 昭和四八年九月二二日午前二時四五分頃

場所 千葉県千葉市高根町九六四―八地先付近の国道一二六号線路上

加害車両および運転者 訴外肥後富士男運転、同有限会社富士電設(以下訴外会社という)所有の普通乗用自動車(千葉三さ、一〇五号、以下本件自動車という)

事故態様 訴外肥後が本件自動車を運転し、八日市場市方面から千葉市街方面へ向って、本件事故現場にさしかかった際、同所付近道路が同人の進行方向から見て左カーブ、かつ、下り坂であったため、右自動車がこのカーブを曲り切れず、反対車線へ侵入したため、折から対向して自己車線内を進行してきた喜三郎運転の軽乗用自動車(八千え、一五―一三号伊藤車という)に正面衝突

二、被告は、各種保険の引受を業とする保険会社(株式会社)であるが、訴外会社と、同社が所有する本件自動車につき、保険期間昭和四八年一日二九日から同五〇年一月二八日までとする自動車損害賠償保障法(自賠法)第五条による損害賠償責任保険契約(保険番号五一―〇九三五一九)を締結した。

三、原告伊藤信枝(以下原告信枝という)は、喜三郎の妻であり、同伊藤栄一、同伊藤喜代美は、いずれも喜三郎の子であり、同人らは、喜三郎の死亡により、同人の相続人として、同人の権利義務を法定相続分の割合で承継した。

四、訴外会社は、本件自動車を所有し、自己のため運行の用に供していたのであるから、自賠法三条により本件事故による損害を賠償する責任がある。

五、損害

(一) 喜三郎の逸失利益 三、一七二万五、〇七五円

喜三郎は、昭和八年五月三一日生れの健康な男子であり、事故当時は、タクシーの運転手として働くかたわら農業にも従事していた。同人の逸失利益は最少限に見積っても右金額を下らない。

(二) 原告三名は右逸失利益請求権を各三分の一の割合で承継取得した。

(三) 慰謝料   原告ら各自二〇〇万円

原告らは本件事故により、最愛の夫であり、父である喜三郎を奪われたものであり、その精神的苦痛に対する慰謝料は右金額を下らない。

(四) 喜三郎の葬式費用    四〇万円

六、右のとおり、訴外会社は原告らに対し、右損害を賠償する責任を負うに至ったので、原告らはその代理人(原告代理人高橋)を通じ、昭和四九年一二月一八日、被告に対し、自賠法第一六条第一項に基づき、保険金(限度額五〇〇万円)の請求をした。

七、被告は、本件事故につき訴訟(当庁昭和四九年(ワ)第三七五号)が係属中であることを理由に、保険金の支払いを拒絶した。

八、そこで右代理人は、被告の監督官庁である運輸省自動車局および大蔵省銀行局保険部に対し、被告の右のような事務処理の当否につき照会したところ、右両者から被告宛に、保険金の支払いについては「係属中の訴訟の結果をまつことなく所要の措置をとるよう」との指示がなされた。

九、被告は、右の指示にもかかわらず、昭和五〇年七月四日付の書面で前記代理人に対し、なおも何ら正当な根拠もないのに保険金の支払を拒絶する旨を通知した。

一〇、被告の右行為は、自動車事故の被害者ないしはその遺族に損害の最低限度を迅速に保障することを目的とする自賠責保険制度の精神に反するものであると同時に、何ら合理的根拠がないにも拘らず、徒らに保険金の支払いを拒む不当抗争である。

一一、被告は、右のとおり、本件事故発生後二年近く経過し、保険金請求権の消滅時効完成直前に至るも原告らに保険金を支払わないため、原告らは、弁護士である原告代理人両名に本訴の追行を委任することを余儀なくされ、原告信枝は、手数料及び費用として、右代理人両名に対し、二〇万円を支払うと共に、本訴終了直後に謝金として少くとも五〇万円を支払う旨を約した。

一二、右費用は、被告の故意又は重大な過失による不当抗争と相当因果関係のある損害であるから、被告は原告信枝に対し、右費用を賠償する責任がある。

一三、よって、原告らは被告に対し、本件事故による損害の範囲内でありかつ保険金額五〇〇万円をその相続分に応じて三分の一とした各一六六万六、六六六円と右金員に対する保険金請求がなされた日(昭和四九年一二月一八日)から通常の事務処理に要する期間を経過した後である昭和五〇年二月一日から完済まで商法所定年六分の割合による遅延損害金の支払いを、更に原告信枝に対し、上記弁護士費用相当損害金七〇万円の支払いを求める。

第二、答弁

一、請求原因一のうち、事故態様は否認するが、その余の事実は認める。

二、同二は認める。

三、同三は認める。

四、同四のうち、訴外会社が本件自動車を所有し、自己のため運行の用に供していたことは認めるが、自賠法第三条の責任は否認する。

五、同五は不知。

六、同六のうち、訴外会社は原告らに対し、損害を賠償する責任を負うに至ったことは否認し、その余の事実は認める。

七、同七は認める。

八、同八は不知。

九、同九は認める。

被告が保険金の支払いを拒絶したのは正当な理由にもとづくものである。

一〇、同一〇のうち、合理的な根拠がないにも拘らず、保険金の支払いを拒む不当抗争であることは否認し、その余は争う。

一一、同一一は不知。

一二、同一二は争う。

一三、同一三は争う。

第三、免責の抗弁

一、本件事故は、以下のとおり、喜三郎の過失により惹起されたものであり、訴外肥後には過失はなく、本件自動車には構造上機能上の欠陥はなかったので、自賠法第三条但書により免責されるから、被告には被害者請求に応ずる義務はない。

二、本件事故現場は、東西に通ずる歩車道の区別のある巾員七・五米(車道巾員六・五米、歩道巾員一米)、約四~五度の下り勾配の見通しの悪い左カーブの道路上であり、右道路中央には追越禁止線が敷かれ、北側がガードレールによって歩道と区分されているところ、訴外肥後は、本件自動車を運転して本件道路上り車線を、千葉市中野町方面(東)から千葉市街方面(西)に向け、法定速度内で進行し、本件事故現場にさしかかったものであるが、同所から道が左にカーブして下り勾配となっているため、ブレーキを軽く踏みながら進行を続けたところ、突然下り車線上を対向進行してきた伊藤車が、前方注視を怠り、ハンドル操作を誤り、道路中央線を越えて上り車線上に進入して来たものであり、訴外肥後は、右伊藤車を数米手前で発見して急ブーキをかけたが及ばず、伊藤車と本件自動車が正面衝突したものであり、本件自動車はハンドル及びブレーキ等構造上の欠陥又は機能の障害はなかった。

三、自動車の運転者としては、カーブに差しかかったときはその状況に応じ、減速或は徐行して、自己車線を越えることなく進行すべき注意義務があるが、対向車が中心線を越えて走行してくることを予測し、これと衝突を避けるような措置を事前に講じておく注意義務はなく、又伊藤車が中央線を越えて来た時点において、それとの衝突を避ける措置を講ずる時間的余裕はなかった。

第四、抗弁に対する認否

一は争う。

二のうち、本件道路の状況は認めるが、その余の事実は否認する。

三のうち一般的注意義務は認めるが、その余の事実は否認する。

(証拠)《省略》

理由

一、請求原因一の事実のうち、事故態様を除き、主張の日時、場所による衝突事故により、喜三郎が死亡したことは、当事者間に争いがない。

二、請求原因二、三項及び四項のうち訴外会社が本件自動車を所有し、自己のため運行の用に供していたことは、当事者間に争いがない。

三、被告は、本件事故の態様を争い、免責の抗弁を主張しているので、この点について検討する。

1  《証拠省略》によれば、本件事故の発生した国道一二六号線の現場道路は、ほぼ東西(東方千葉市中野町方面、西方千葉市街方面)に走る車道巾員約六・五米、歩道巾員約一米、北側のみがガードレールによって区分されており、道路北側は山林、道路南側は草地(草丈一米位)に続く山林となっており、追越、駐車禁止区域であり、車道はアスファルト舗装されており、千葉市街方面に向けて下り勾配四・五度、曲線半径一五〇米の左カーブが、同所北側にある電柱白井三七〇号(基本電柱という)あたりで直線道路となったあたりであること。

2  《証拠省略》を総合すれば、本件事故直後である昭和四八年九月二二日午前三時過ぎ行われた警察官による実況見分においては、伊藤車は中野町方面に向き、前部全面(前面ガラス破損)を大破して上り車線をはずれて(伊藤車の走行車線は本来下り)南側草地内に、左前部をやや道路側(北)に向けて停車していたこと。

本件自動車は、右伊藤車から三・八米離れて千葉市街方面に向き、上り車線上のほぼ中央付近に、道路と平行に停車し、同自動車前面は、大きく破損し、前部中心から左側ヘッドライト付近の破損が特に著しいものであったこと。

本件自動車の停止位置左後部付近に、伊藤車の左バックミラーが折損して落ちており、更にその後方(中野町方面)、伊藤車の停止位置から一七・五米付近の道路上に、センターラインをほぼ中心として、伊藤車のものと認められるウィンド硝子の破片が散乱していたこと。

下り車線北側ガードレールは、基本電柱あたりから千葉市街方面に向けて四・五米にわたり、道路外に向けて大きく凹損した上、同ガードフェンスの上下各ふくらみ部分に擦過された痕跡が残り、右フェンスのふくらみは、上段が地上より約六五糎、下段がその下方二〇糎にあること。

本件自動車の右側には、(イ)地上よりの高さ約六五糎の個所に、右ヘッドライト横より後方にかけて長さ約五〇糎の鋭い擦過痕が一条、(ロ)地上よりの高さ約六五糎の個所に、後部ドアのすぐ後方から最後尾にかけて、長さ約二米、巾約一糎から五・五糎にわたる擦過痕一条、(ハ)右擦過痕の下方後輪後方付近に、地上よりの高さ約五〇糎の個所に、長さ約三五糎の擦過痕が一条、(ニ)更に、その下方に長さ約二四糎の軽い擦過痕一条が印象され、右側後部ドアの後方に径約六五糎にわたる軟い物体に当ったと認められる凹損が一個認められ、右凹損部分の内部にも、上記(ロ)の擦過痕の一部があることが認められる。

3  《証拠省略》によれば、車輌重量は、伊藤車が四四〇粁、本件自動車は一、七四〇粁であること。

4  《証拠省略》を総合すれば、事故当時は、雨が降ったりやんだりの天候であったこと、本件自動車と伊藤車が衝突後、伊藤車は、本件自動車と前部がかみあい、同自動車に押されて後退し、前記のとおり、上り車線路外の草地に停止したこと、訴外肥後は伊藤車の乗員を救助するため、本件自動車を上り車線上に後退させ、上記のとおり、同道路中央付近に停止したこと、その二、三〇分後、訴外青柳寛は、中野町方面から千葉市街方面に向けて上り車線上を進行して本件現場付近にさしかかった際、前方に停止している本件自動車を認め、その右側を反対車線上にかけて追越そうとしたが、その直前、本件自動車の右側センターライン付近に訴外肥後がかがんでいる姿を発見し、同人との衝突を避けるため、急遽ハンドルを右に切ったが、反対車線北側ガードレールに自車(青柳車という)右前部フェンダを衝突させ、更に右後部を衝突させ、その反動により同自動車の後部が振れて、同車は左斜前方に滑走し、本件自動車の右側にいた肥後を左後部バンバー付近をもって本件自動車との間にはさみこむ様な形で同人の脚部に衝突させたことが認められる。

5  《証拠省略》によれば、本件自動車と伊藤車の破損状況から、両車の衝突速度は、伊藤車が約六〇粁、本件自動車が約七〇粁と推測され、伊藤車の停止位置が道路のカーブの内側にあり、その停止位置と上記車輌の重量から推して、衝突前両車はその双方かそのいずれかがカーブの内側に向って走行していなければならないこと、本件自動車は衝突後、衝突地点から伊藤車の前部とかみあったまま伊藤車の停止位置まで同車を押戻して停止したこと、右停止位置は本件自動車が伊藤車に衝突した姿勢角の延長線上にあり、衝突地点からの直線上にあることが認められる。

6  以上の事実を総合すれば、伊藤車の停止位置を、ガラスの破片のある近辺に向って直線に延長した点がその衝突点になるものと解され、本件自動車の中央やや左よりと伊藤車とが正面衝突に近い形で衝突したものと解されるところから、伊藤車の停止角度、本件道路のカーブの状況、道路巾から推して、本件衝突地点は、本件自動車の走行車線である上り車線内であるとは断ぜられず、更に、本件自動車の右側に印象された上記擦過痕は、右自動車の進行方向右側(反対車線北側)のガードレールの凹損部分の擦過痕とほぼ同一の高さにあり、右擦過痕はガードレールとの擦過によって生じたことは否定できない。

そうすると、訴外肥後は、本件自動車を運転走行しているうち、本件事故現場手前の左カーブをまがり切れず、反対車線にふくらんで走行し、反対車線北側のガードレールに接触した上、自己車線に戻るべく、左斜め前方(カーブの内側)に向って走行中、下り車線上を進行してきた伊藤車と、同車線内センターライン付近において衝突したものと推認することができる。

7  《証拠省略》によれば、訴外肥後は、自己車線内を走行しているうち瞬間的に伊藤車が同車線内にがくんと進入してきた旨を述べているが、そうとすれば、伊藤車はカーブの外側に向って押し戻される筈であり、伊藤車の停止位置から推して同供述は採用できない。

又、《証拠省略》によれば、本件自動車の右側擦過痕は、訴外青柳が衝突した際、青柳車によって擦過された痕跡である旨を供述しているが、右青柳車との衝突時の凹損と認められる凹損部分の中に、上記認定のガードレールとの擦過痕が印象されており、右擦過痕が生じた後に凹損が生じたことは明らかであり、右凹損は肥後の体をはさみこんだためにできたものと推認され、更に《証拠省略》と対比して、右肥後の供述は採用することはできない。

8  《証拠省略》及び証人江守一郎は、伊藤車が本件下り車線道路に平行に進行していたと仮定して、同車に本件自動車が衝突するには、同自動車が衝突前北側から道路中央線に対して、一八・八度で進入しなければならず、対向車線への進入巾は四・二米位なければならず、道路巾からして不可能である旨を述べているが、同証人は現場の道路状況を現実に測定、見分しておらず、実況見分調書、道路図等を参考とし、本件現場を一帯のカーブと理解して図示しているが、《証拠省略》のとおり、本件事故現場は、径約一五〇米のカーブが基本電柱のあたりで終り、これが直線道路に入ったあたりであり、その直前に本件自動車が大きく対向車線にふくらむことは右カーブの状況から推して可能であり、前記証拠は採用できない。

9  《証拠省略》によれば、事故直後、本件衝突地点ガードレールには、青柳車の塗料が付着していることが判明したが、鑑定結果によるも本件自動車の塗料は発見されなかったことが認められるが、青柳車は青色であって一見して発見しやすいが、本件自動車は《証拠省略》によれば灰色であって、発見しにくい色あいであり、又鑑定資料として塗料を採取して鑑定したことが認められるとしても、その採取場所によっても結果は左右されるものと解されるから、これをもっても上記認定を覆すには至らない。

10  以上であるから、本件事故は、訴外肥後が本件自動車を運転して反対車線を走行した過失によって惹起されたものというべく、亡喜三郎には過失はなかったものであるから、被告の免責の抗弁は認められない。

四、原告信枝は亡喜三郎の妻として、原告栄一、同喜代美はその子として、喜三郎の死亡により精神的苦痛を蒙ったことは明らかであり、その慰謝料額は、各一六六万六、六六六円を下らないものと認められ、尚その他の損害を勘案すれば、保険金額五〇〇万円を大きく上まわるものと解される。

五、原告らは被害者の遺族として、本件自動車の保有者訴外会社が自動車損害賠償責任保険を締結している被告会社に対し、昭和四九年一二月一八日、保険金限度額五〇〇万円の支払を請求し、被告が訴訟の係属中であることを理由にその支払を拒絶したことは被告の認めるところである。

六、右支払の拒絶は、《証拠省略》によれば、本件事故は被害者が至近距離において中央線を越えたため、訴外肥後が避譲の余地がなかったものとして、本訴抗弁と同様に自賠法上の責任を争ってなされたものであることが認められる。

七、原告は、右請求に応じないことをもって不当抗争として、弁護士費用の損害賠償を求めているので、この点について検討する。

自賠法第一六条は、被害者が直接保険者に対して保険金額の限度において損害賠償を請求するみちを開き、被害者に迅速且つ確実に損害のてん補を受けさせることを目的としたものであることは明らかであるが、本来、同条は、保有者が自賠法第三条の規定による損害賠償責任が発生したことを前提とするものであるから、保険会社が保有者の免責を主張して、その責任を争うことも、具体的な事故内容によっては権利の行使として許されるものというべく、本件においては、《証拠省略》によれば、事故直後本件事故の捜査を担当した警察官湯浅三郎は、実況見分時において、伊藤車は反対車線の更に外側に停止し、本件自動車が上り車線中央に停車していた状況と、訴外肥後が、伊藤車が中央線を越えて反対車線上に出てきたため避譲の余地なく衝突した旨を供述した事実と、同人の指示にもとづき、右肥後を被害者と認定して捜査を開始し、実況見分調書も衝突地点は肥後車線上として作成し、右肥後はその後の取調べに対しても同様の供述をしていたこと、同事故については直接の目撃者もなく、伊藤車の同乗者も事故当時睡っていたため、適確な証言を得られず、又右事故直後上記のとおり第二事故も発生して、これにより本件自動車の右側にいた肥後が負傷した事実もあり、結局、被告は、上記捜査結果等から推して、訴外肥後に過失はないものとの結論に至ったものであることが認められ、保有者の免責を主張して、その責任を争ったとしても、権利の行使としてやむを得ないものというべく、特段に故意、過失があったものとは認められない。

八、もっとも、《証拠省略》によれば、原告らは訴外肥後及び同人が代表取締役となっている訴外会社を被告として、本件事故による損害賠償を請求し、同事件は当庁昭和四九年(ワ)第三七五号事件として係属し、昭和五二年九月二六日、同裁判所により、「被告らは、各自原告伊藤信枝に対し金八四六万四、六〇〇円、原告伊藤栄一、同伊藤喜代美に対し各金七二五万八、六四〇円と右金員に対する昭和四九年七月一九日から支払ずみ迄年五分の金員を支払え」との主文による肥後の責任を認める判決が言渡され、現在控訴中であるが、本件の審理にあたっては、前記事件の証拠調の結果が順次証拠として提出され、事件の全貌も次第に明白となったものであり、本件においても、上記認定のとおり、本件自動車の右側に印象されたガードレールとの擦過痕の存在が肥後の供述と明らかに矛盾するものであるから、この段階において、被告はこの矛盾を解決すべく調査をつくすべきものであり、判決言渡時において肥後の責任を否定し得るに足る客観的な証拠のない限り、判決の言渡により、少くとも自賠責一六条による請求に応ずべき債務が発生したものと解するのを相当とする。

本件において、被告は乙第一四号証の鑑定書を提出しているが、同鑑定書も、現実に事故現場に臨んでの実測、見分にもとづかない理論上のものであって的確なものともなし難く、結局、被告は保険契約者として、右判決言渡の日の翌日である昭和五二年九月二七日遅滞におちいったものというべく、尚被告は保険会社であるから、各原告らの請求する一六六万六、六六六円に対する右同日以降完済まで商法所定年六分の割合による遅延損害金を付して支払う義務がある。

九、よって原告らの本訴請求のうち、各一六六万六、六六六円とこれに対する昭和五二年九月二七日以降完済まで年六分の割合による損害金の支払を求める部分を正当として認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 大内淑子)

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